わが町の秩父札所34ヵ所巡り

30年ぶりに戻って来たふるさとの魅力探し

大きな一枚岩に建つ秩父札所19番 飛渕山龍石寺(ひえんさん りゅうせきじ)

地獄の仏さまたちが安置され、ジオ的にも興味深いとされる寺

龍石寺観音堂

19番龍石寺は市内大畑町にある。その名の通り、住宅と広めの畑が混在している。昔から龍石寺は岩の上に建っているので、土を踏まずにお参りできるということで有名だったそうだ。

 

数万年前、荒川が盆地の中を流れるようになると、周りの泥岩は荒川に削られましたが、硬い角礫質砂岩は削り残されて突出した高まりになりました。

札所19番龍石(りゅうせき)寺の角礫質砂岩(かくれきしつさがん) | ジオパーク秩父

 

『ぶらタモリ』でも紹介されたそうです。

 

固そうなのは寄ってみるとわかります。さて観音堂は四間半四面、回廊付、流れ向拝付き、銅板葺宝形造り、堂内正面土間造りとなっています。1973年に再建されましたが、それ以前は茅葺屋根で、資料によれば1705年に創建された、札所で最も古い観音堂であったようです。

 

本尊は千手観音菩薩。背から左右にほぼ水平に突き出す22本の手は珍しい形だそうです。その他、内陣には『冥土の十五像』が安置されているそうです。

ですが堂内は真っ暗で何もみえません。お参りに来た人もこれではがっかりではないでしょうか。堂内撮影禁止の張り紙もしてあります。せめて堂内の様子を外から見られるぐらいの配慮はあってもいいのではと思いました。

 

 

とても質素な造りで、観音霊験記の錦絵ぐらいしか飾りのものは見当たりません。霊験記によれば、『昔、旱魃で人々が困っていたときに、弘法大師秩父にやって来て雨ごいのお祈りをした。すると一枚岩が二つに割れて龍が飛び出した。やがて黒雲が現れ、雨が降り始め、大豊作となった。』とあります。

 



小さな穴が見えます。もっと大きな穴もあったのでそちらを撮影すればよかったのですが。これは『ポットホール』と呼ばれるもの。川の浸食によって作られたのだそうです。ここがかつて荒川の河床だったころに作られたということです。

 

 

三途婆堂。三途の川 のほとりに立っていて,亡者の衣類をはぎ取る鬼婆。子育て婆さんとして、こどもの病気を治してくれるご利益があるそうです。なんでも閻魔大王の妹だとか。この寺は地獄の仏様が多いようです。

大畑に住む友人のおばあさんが建てたそうなの茶筅塚。なので古そうですが昭和です。その友人が家を建てたとき、地盤検査で数値を10をマックスにすると、なんと10だったそうです。この辺りはなるほど地盤が固い!

納経所

裏手に回ってみる龍石寺。岩の上に建っているのがよくわかります。なかなか見られない景色で、ちょっと感動! 石碑の下には階段がつけられています。これはかつての巡礼専用の渡し船乗り場につながる道だったようです。渡し場はもうちょっと荒川の上流にあって、簗場(やなば)の渡しと呼ばれていたそうです。そこから次の20番に船で渡ります。

20番が建つ崖の下に着きます。料金は6文。季節や天候によって変動したらしいです。それを取り仕切るのは、20番の所有者である内田家でした。

 

 

秩父のジオガイドブックによれば、

民家の間の路地を東側に少し歩くと、水路を隔てて、公園に登る階段のついた斜面(段丘地形の段差の部分)に境内と同じ含礫砂岩が見えます。もとはひと続きであったこれらの岩が割れて、その割れ目にできた水路が激流となった様子を昔の人が竜に例えたのだとしたら面白いですね。ちなみにこの水路は、お堂の建つ岩盤が川原であった2~3万年前に荒川が流れていたところと考えられます。

札所19番龍石(りゅうせき)寺の角礫質砂岩(かくれきしつさがん) | ジオパーク秩父

納経所の人に、寺のあたりに水路はあるか?と尋ねたら、寺を西に荒川方向に下りて行ったところに水路がある、と言われて写真の水路にたどり着きました。この水路、とても長いです。

 

でも、ちょっと方向も違うようだし、公園も見当たりません。この水路を見つけることは課題です。それに渡し船の名残りのかつての姿を想像できないのが気にかかる。

 

龍石寺詳細