秩父夜祭好きには必見の秩父札所18番 白道山神門寺(はくどうさん ごうとじ)
国道140号線沿いにある札所18番神戸寺。私もよく行くベルク宮地店やユニクロの近くなのですが、今回訪ねるまで、ここに札所があったとは、全く気がつきませんでした。旧市内にある札所はコンパクトにまとまっている寺が多いようです。神門寺も民家に超隣接しています。
入口には松と椿がありますが、その昔は榊の木が両側にあって、神々しい門のように見えたことが『神門寺』の名の由来のようです。
本尊は珍しい両手に蓮華を持つ聖観世音菩薩。1mぐらいの丈があるそうです。
観音堂は方3間、勾欄回廊付き、唐破風様流れ向拝付き、銅瓦葺宝形造りとなります。
この寺で私が一番見たかったのは、この観音堂の屋根。私が愛して止まない秩父夜祭りの屋台を思わせます。正確には宮地の屋台(神門寺は下宮地にあります。)これ、感激しました!
http://www.chichibu-jinja.or.jp/yomatsuri/
宮地屋台は、表2.64m、妻4.29mで名匠藤田大和によって建造されたものと伝えられる。
現在の屋台はほぼ文政年代に修造が行われたものといわれ、各部の構造にも高度の工作技術が見え、装飾彫刻も屋型とよく均整を保ち、秩父祭屋台のうち最も端正な姿をとどめている
この藤田家は宮大工でいいのでしょうか。藤田六左ェ門(1682年生)が秩父神社社殿の改修や宝登山神社の本殿、札所一番の観音堂なども手掛けています。屋台の屋根の改修は藤田大和。大和の独創的でまろやかな唐破風は高い評価を受けています。そして、神門寺の観音堂は天保年間(1830~1844年)に藤田若狭により再建されました。大和の高度な技術を伝承しています。(秩父神社社報より)
勾欄の擬宝珠(ぎぼし)には安政5年(1858年)とあります。階段も歩くと古いな~という感触があります。外側は木も枯れ果ててという感じですが、お堂内の天井には花鳥人物の絵が描かれ、発色もまだよくきれいでした。
観音堂向拝には秩父出身の芸術家森玄黄斎(1807~1886)のご詠歌が書かれた扁額があります。扁額というのは大きな建物に付けられる名称などを記した看板、と理解していいようです。
この人、天才的に器用で、とくに精微細密な彫刻が得意だったようです。有名なのは4.5cmの象牙に孔子の弟子3,000人の顔を彫ったもの。これは江戸幕府に献上され、その後、英国大使に贈られて、現在は大英博物館に収蔵されているそうです。
画像を探してみましたが見つかりません。ちょっと見てみたいですよね。
素朴な外観ではありますが、よ~く見るとすごい彫刻もあり。
紅梁に付けられた龍の彫刻
これは獅子?どちらもとても迫力がある。
そして側面にはかつて修験の寺であったことを思わせる草鞋と山伏の数珠でしょうか?
『観音霊験記』の額。
裏側には裏回廊があり、ご本尊の下をくぐることができます。しかし、現在は改修中という札があり、入ることはできません。でもこれ、かなり前から不可のようです。こういうの、あればくぐっていきたいですよね。堂内はこちらも撮影禁止だし、まったく楽しさ半減!
『蓮華堂』。中に9体の仏さまたちが安置されている。
一番親しみ深く思えたのが普賢菩薩。
一番遠い感じがしたのは大日如来。
密教の本尊で,日本には平安時代前期,空海による密教導入にともない伝来。 大日経と金剛頂経の説く二つの種類があり,如来でありながら菩薩の形をとる。(コトバンクより)
悟りを開く直前の修行中の人を「菩薩」と呼び、悟りを完全に開いた人を「如来」と呼びます
不動堂の不動明王
寺入口のニコニコ地蔵
納経所。隣に小さな参拝者用の休憩室もあります。
神門寺詳細