埋もれ行く頭のない石仏たち。秩父札所4番高谷山金昌寺(こうこくさんきんしょうじ)
石仏の寺といわれる4番。入口の仁王門も立派だ。2階には五百羅漢などが安置され、門の左右に置かれた仁王像は約21mだそう。秩父札所で最大の仁王像だ。仁王像の前には長さ2mほどの大わらじが奉納されている。仁王様のように健脚を願って、ということらしい。遠くからみるとこのわらじがキラキラと光っているのだが、これは1円玉がお賽銭のように付けられているから。
最初に訪れたのは雨の日だった。石仏がしっとりと濡れて、コケが生き生きとした緑色を放ち、しっとりとした風景を眺めることができた。頭のない石仏も数多くあると聞いているが、その日みた限りでは意外にそうでもないな、と思った。
現在、この寺には1319体の石仏がある。石仏の寺の由来は江戸時代の寛政年間、ここの住職が天災などがあったため、石仏の寄進を求めたことに始まるそう。かつては3千体以上あったらしい。様々な種類の石仏があり、多くは富裕層の寄進で、中には大名家の奥女中からの石仏(回向仏)も30体ほどあるようだ。
この日はグループで行き、次の予定もあったので、観音堂に置かれた隠れキリシタンのマリア像とも呼ばれる子育て観音などを見て、早々に立ち去った。
そして2日後。もう一度行ってみようと一人で行ってみた。前回は奥の院とよばれるところに行っていない。正規ルートのように道しるべがあるのは観音堂の裏手だが、私はそれを知らず、普通なら降り口になる方向からなんとなく、山道になっているので上っていった。距離はそんなにない。
えー!? 少し上ると、頭のない石仏がいっぱい。
下とはちょっと様相がかわる。
こちらが奥の院。
不整合といわれ地質の小さな岩屋からは地下水がしたたり落ち、弘法大師が祀ってある。岩屋の上にはひん曲がった木。私ひとり。空気は澄んでいて、静寂の空間。不思議な空間。
なぜ、石仏の頭はなくなったか?
ガイドブックには明治の廃仏毀釈の際にたくさんの石仏が破壊されたとある。それに関連して頭も無くなったか?
そのことを姉に言ったら、テレビ番組で、4番という覚えなないが、戦争のときに、兵隊にとられた人が無事に帰ってきたら新しい頭をつけるということで、たくさんの頭が取られたとか。そういう理由なら合点がいく気がする。
新しい頭をつけていたのは2体ほどだったので、たくさんの帰ってこなかった人たちがいるということなんだろうか。頭の代わりに石が置かれているものもある。作るお金もなかったということだろうか。それを思うとなんとももの悲しい。
4番は、秩父札所巡りでも人気の寺と思うが現在は住職さんもいない。3番が管理していると聞いた。小さな石仏たちは雨や風、植物に侵食され、いったいあと何年、姿をもつことができるのだろう。
なんだか妙に気にかかる。
金昌寺詳細
本 尊 十一面観音菩薩
宗 派 曹洞宗
長享番付 25番
住 所 埼玉県秩父市山田1392
☎ 0494-23-1758
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駐車場 有