わが町の秩父札所34ヵ所巡り

30年ぶりに戻って来たふるさとの魅力探し

背後に鍾乳洞!秩父札所28番 石龍山橋立堂(せきりゅうさんはしたてどう)

秩父札所28番 橋立堂

札所28番橋立堂は背後に80mの切り立った橋立鍾乳洞がそびえる印象的な地形に建っている。現在の観音堂は1707年、江戸中期に建立されたもの。観音堂は3間4面、流れ向拝を付けた方形で、銅板葺き。14番今宮坊、18番神門寺と並んで明治時代までは修験の寺だった。

観音堂は柱や組み物は朱塗りだが、欄間は黒格子で、作られた当時はちょっとおしゃれな雰囲気もある寺だったようだ。本尊は馬頭観世音菩薩弘法大師作といわれ、3つの顔と6本の腕があるそうだ。本尊に馬頭観音は札所では珍しく、ここと西国29番だけ。

その他、堂内には十一面観音立像、地蔵菩薩5像、閻魔座像などが安置されているそうだ。この寺も撮影禁止で、中もよく見えないのがやはり残念。

橋立鍾乳洞ギリギリに建つ観音堂。裏手にはお地蔵様が安置されていた。

音霊験記の扁額。内容は

www.josai.ac.jp

観音堂前の脇にある馬堂。栗毛と白馬の2頭といわれているが、ちょっと判別がつかない。左甚五郎作といわれている。

橋立堂の奥の院である橋立鍾乳洞。まずは納経所で入場料を払ってから、橋立鍾乳洞の入口の看板に沿って進む。12万年前にできたといわれる竪穴鍾乳洞で、鹿やクマの骨や押型文の土器片、貝飾りのほか弥生土器等も発見されていて、岩かげ遺跡ともいわれている。縄文時代初期といわれている。

いわゆる鍾乳石の氷柱が垂れ下がる鍾乳洞のイメージではなく狭い、ときには中腰になって細い通路を上に向かって進むという鍾乳洞だ。子供の時に一度入ったが、中の様子の記憶がない。

階段も多いので、ただ歩くことに専念してしまった。秩父円通伝(1744年に出版。建部涼袋が秩父に滞在して書いたもの)には洞窟は常に霧の海が流れ、大蛇が住んでいたと書かれている。

 

秩父の写真家清水武甲さん(1913-95) の秩父幻想行によれば、洞窟内の数々の鍾乳石や広間には大黒天や弁財天、のぼり龍や下り龍など様々な名称がつけられていて、かつてはそれ自体が信仰の対象になっていた。難界ヵ谷と呼ばれる穴は底もわからない暗谷といわれていた。(後の調査で深さは数メートルだったことが判明)。

私が見た限りでは所々に名前のついた鍾乳石があるが、あまりピンとこないものだった。もしかすると、私たちには立ち入りできない場所にもっと神秘の世界があるのだろうか。私たちはほんの一部を見ているだけなのでは?

納経所

こんなカフェもあるのでびっくり。観光色強し。

うどん屋もある。その前は28番の無料駐車場。私たちは、ここに入ってくる道の入口にある有料駐車場(一日500円)に停めてしまった。初めてだと、入口からの道がかなり狭そうに思えてひるんでしまった。でも、大丈夫。普通車なら無料駐車場まで問題なく行ける。

寺までの道はこんな感じで、ガードレールの下のほうに川が流れている。個人的には28番のロケーションに感動するかと思ったが意外にそうでもなかった。自然の造形も心に響かなかった。


橋立堂詳細

 

寺宝も見られる!秩父札所14番 長岳山今宮坊(ちょうがくさんいまみやぼう)

かつて秩父の修験寺として栄えた今宮坊

秩父札所14番 今宮坊

札所14番は秩父市中町、旧市街の中心に位置するお寺です。やはり町中なので、コンパクトにまとまっています。私はこの中町で生まれました。家は長屋で裏が今宮神社。井戸もありました。今宮神社は遊び場で、児童館とかあって昔は今のように神社らしい体裁ではありませんでした。

かつて、14番は約100mほど離れたところにある今宮神社とともに秩父修験の中核でありました。その歴史は古く、平安時代に長岳坊が開山、修験道の本山聖護院の直末寺(じきまつじ)として長岳山正覚院金剛寺と呼ばれ、最も栄えた時には40人余の僧を抱えていたそうです。明治の神仏分離により、修験道は廃止され、今宮神社と札所14番(今宮観音堂)に分離しました。

入口にある2本の古木の白檀がお出迎えしてくれる。白檀って、強めの香りだけれど、木のイメージはか細い感じ。それにしても初めて白檀の木を見た。

入口右手に『今宮観音堂』とあります。

観音堂は方3間、流れ向拝付き、銅瓦葺宝形造り。江戸中期の1709年に再建されました。

観音堂の前にある『輪廻塔』。調べてみると、お経をあげたのと同じ効果があるとか、いろいろですが、寺の説明書きによれば、『この車石を廻すと、地獄道や餓鬼道にさまよっている亡者が極楽に生まれ変わり、現世を安楽に暮らせるといわれています』とあります。私はくどくど、お願いし過ぎました....。

14番も観音堂内が見られて感激です!やっぱり、こうでないと! 天井は格子状になっています。

ご本尊は聖観世音菩薩。江戸時代中期制作。聖観世音で半跏趺坐(はんかふざ)像は珍しいようです。 

こちらは寺宝である飛天像。藤原後期に作られたもので、蓮茎をもち、ひざまずいて雲に乗る童子像。県指定文化財です。

飛天とは仏教で諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人(wikiより)
お寺の説明文によると、

札所十四番今宮坊に安置されている飛天像は、高さ30.3cmの木彫りで、金箔押し蓮華(れんげ)を持ち跪座して雲に乗る姿である。藤原時代後期の作。この飛天像は秩父札所の中でも曲線美に富んだ異色の仏像として早くから注目されていた。

そんな貴重な仏像が遠目からでも拝めるのはうれしいですよね。ちょろっと読んだのですが、ここの先代住職は、江戸時代は人気だった秩父札所もその後は衰退し、それを再び盛り上げるために率先していろいろ努力された方のようです。こんな風に見ることができるのもそういったことと関係があるのでしょうかね。

飛天像のお姿は販売していますが、ご本尊はなし。寺宝のほうが、古さも違うし、ご本尊より貴重ということでしょうか。

観音様の絵のような。

樹齢500年のケヤキ。若々しい緑をつけています。

聖徳太子像。

寺の外側から見るケヤキは初めに受けた若々しい印象はなく、老木の様相をしていました。

ニコニコ地蔵。おばあちゃんの顔みたいです。

勢至菩薩堂。

勢至菩薩。阿彌陀三尊の一つ。 阿彌陀仏の右の脇士で、智慧の光で一切を照らし、衆生をして餓鬼・畜生・地獄の三悪道から救い、臨終には来迎して極楽に引導するという菩薩。(コトバンクより)

手を合わせているか水が入っている水瓶(すいびょう)を持っている姿が一般的だそうです。午年の人々を守る守護本尊だそうです。

ここで面白いのが勢至菩薩堂前の狛犬。普通はお寺にはいないもの。これがかつて神仏習混合だった時代の名残のようです。

享保18年(1734)に奉納された手水舎(ちょうずや)の水盤。水がないのはコロナで?

何かの供養塔ですが、よく読めませんでした。彼岸花が咲いていたので写真撮ったら、そのときだけ、急に左から光が差し込んだ。もう一度撮ってみたけど、そのときは光は入らず。なんかあるのか?

納経所

秩父今宮神社のケヤキ

こちらは、徒歩2分にある今宮神社の樹齢千年といわれるケヤキ

坂野ホルモン@秩父札所14番そば

ちょっとした観光案内。14番そばにある秩父ホルモンの店坂野。坂野は古くからある地元の肉屋さんで、豚肉が美味しいと定評があります。こちらはホルモンの店。秩父でホルモンといえば、豚。友人がここで食べて美味しかったと言っておりました。

 

今宮坊詳細

  • 本 尊 聖観世音菩薩
  • 宗 派    臨済宗南禅寺派
  • 長享番付    第22番 神門寺
  • 住 所    埼玉県秩父市中町25-12
  • ☎    0494-22-4772
  • website     
  • 駐車場    有

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秩父夜祭好きには必見の秩父札所18番 白道山神門寺(はくどうさん ごうとじ)

神門寺入口

 

国道140号線沿いにある札所18番神戸寺。私もよく行くベルク宮地店やユニクロの近くなのですが、今回訪ねるまで、ここに札所があったとは、全く気がつきませんでした。旧市内にある札所はコンパクトにまとまっている寺が多いようです。神門寺も民家に超隣接しています。

 

入口には松と椿がありますが、その昔は榊の木が両側にあって、神々しい門のように見えたことが『神門寺』の名の由来のようです。

本尊は珍しい両手に蓮華を持つ聖観世音菩薩。1mぐらいの丈があるそうです。

 

観音堂は方3間、勾欄回廊付き、唐破風様流れ向拝付き、銅瓦葺宝形造りとなります。

この寺で私が一番見たかったのは、この観音堂の屋根。私が愛して止まない秩父夜祭りの屋台を思わせます。正確には宮地の屋台(神門寺は下宮地にあります。)これ、感激しました!

 

https://msp.c.yimg.jp/images/v2/tpvPBYOX1wpNVI1UoNSgEq_hatJnSrx-cU86h18fl8i5x5BkjEXrlVAIyCfHVcqZgJ9wPDVQRqL6G6dfE6a69kUMbAr0bUcWwjChNWZjVkYHPxzuMGrxGHl2oDrzvC6zx4m_H-DBKyRXAy6XPiuReNAD6doZMzPSRYTmy4_gq84MxpVXI4xg3wCcQhIEdnR6EWvMiYzA-PicO8hfDJ0L83rSPBrfzpZm5kd2gZpbu7DwjyJz6cfsI14HQVY2F1gSaFpjYlWLhiV4yEhP371cJIQjDAEU9dFwdhpU-9-jQ5A=/img_03.jpg?errorImage=false

http://www.chichibu-jinja.or.jp/yomatsuri/

宮地屋台は、表2.64m、妻4.29mで名匠藤田大和によって建造されたものと伝えられる。

現在の屋台はほぼ文政年代に修造が行われたものといわれ、各部の構造にも高度の工作技術が見え、装飾彫刻も屋型とよく均整を保ち、秩父祭屋台のうち最も端正な姿をとどめている

秩父祭屋台/秩父市

この藤田家は宮大工でいいのでしょうか。藤田六左ェ門(1682年生)が秩父神社社殿の改修や宝登山神社の本殿、札所一番の観音堂なども手掛けています。屋台の屋根の改修は藤田大和。大和の独創的でまろやかな唐破風は高い評価を受けています。そして、神門寺の観音堂天保年間(1830~1844年)に藤田若狭により再建されました。大和の高度な技術を伝承しています。(秩父神社社報より)

 

勾欄の擬宝珠(ぎぼし)には安政5年(1858年)とあります。階段も歩くと古いな~という感触があります。外側は木も枯れ果ててという感じですが、お堂内の天井には花鳥人物の絵が描かれ、発色もまだよくきれいでした。

 

観音堂向拝には秩父出身の芸術家森玄黄斎(1807~1886)のご詠歌が書かれた扁額があります。扁額というのは大きな建物に付けられる名称などを記した看板、と理解していいようです。

 

この人、天才的に器用で、とくに精微細密な彫刻が得意だったようです。有名なのは4.5cmの象牙孔子の弟子3,000人の顔を彫ったもの。これは江戸幕府に献上され、その後、英国大使に贈られて、現在は大英博物館に収蔵されているそうです。

画像を探してみましたが見つかりません。ちょっと見てみたいですよね。

素朴な外観ではありますが、よ~く見るとすごい彫刻もあり。

紅梁に付けられた龍の彫刻

これは獅子?どちらもとても迫力がある。

そして側面にはかつて修験の寺であったことを思わせる草鞋と山伏の数珠でしょうか?

 

『観音霊験記』の額。

裏側には裏回廊があり、ご本尊の下をくぐることができます。しかし、現在は改修中という札があり、入ることはできません。でもこれ、かなり前から不可のようです。こういうの、あればくぐっていきたいですよね。堂内はこちらも撮影禁止だし、まったく楽しさ半減!

『蓮華堂』。中に9体の仏さまたちが安置されている。

一番親しみ深く思えたのが普賢菩薩

一番遠い感じがしたのは大日如来

密教の本尊で,日本には平安時代前期,空海による密教導入にともない伝来。 大日経金剛頂経の説く二つの種類があり,如来でありながら菩薩の形をとる。(コトバンクより)

 

悟りを開く直前の修行中の人を「菩薩」と呼び、悟りを完全に開いた人を「如来」と呼びます

 

 

不動堂の不動明王

 

寺入口のニコニコ地蔵

納経所。隣に小さな参拝者用の休憩室もあります。

 

神門寺詳細

  • 本 尊 聖観世音菩薩
  • 宗 派    曹洞宗
  • 長享番付    第22番 神門寺
  • 住 所    埼玉県秩父市下宮地町5-15
  • ☎    0494-25-0598
  • website     
  • 駐車場    有

 

 

 

 

大きな一枚岩に建つ秩父札所19番 飛渕山龍石寺(ひえんさん りゅうせきじ)

地獄の仏さまたちが安置され、ジオ的にも興味深いとされる寺

龍石寺観音堂

19番龍石寺は市内大畑町にある。その名の通り、住宅と広めの畑が混在している。昔から龍石寺は岩の上に建っているので、土を踏まずにお参りできるということで有名だったそうだ。

 

数万年前、荒川が盆地の中を流れるようになると、周りの泥岩は荒川に削られましたが、硬い角礫質砂岩は削り残されて突出した高まりになりました。

札所19番龍石(りゅうせき)寺の角礫質砂岩(かくれきしつさがん) | ジオパーク秩父

 

『ぶらタモリ』でも紹介されたそうです。

 

固そうなのは寄ってみるとわかります。さて観音堂は四間半四面、回廊付、流れ向拝付き、銅板葺宝形造り、堂内正面土間造りとなっています。1973年に再建されましたが、それ以前は茅葺屋根で、資料によれば1705年に創建された、札所で最も古い観音堂であったようです。

 

本尊は千手観音菩薩。背から左右にほぼ水平に突き出す22本の手は珍しい形だそうです。その他、内陣には『冥土の十五像』が安置されているそうです。

ですが堂内は真っ暗で何もみえません。お参りに来た人もこれではがっかりではないでしょうか。堂内撮影禁止の張り紙もしてあります。せめて堂内の様子を外から見られるぐらいの配慮はあってもいいのではと思いました。

 

 

とても質素な造りで、観音霊験記の錦絵ぐらいしか飾りのものは見当たりません。霊験記によれば、『昔、旱魃で人々が困っていたときに、弘法大師秩父にやって来て雨ごいのお祈りをした。すると一枚岩が二つに割れて龍が飛び出した。やがて黒雲が現れ、雨が降り始め、大豊作となった。』とあります。

 



小さな穴が見えます。もっと大きな穴もあったのでそちらを撮影すればよかったのですが。これは『ポットホール』と呼ばれるもの。川の浸食によって作られたのだそうです。ここがかつて荒川の河床だったころに作られたということです。

 

 

三途婆堂。三途の川 のほとりに立っていて,亡者の衣類をはぎ取る鬼婆。子育て婆さんとして、こどもの病気を治してくれるご利益があるそうです。なんでも閻魔大王の妹だとか。この寺は地獄の仏様が多いようです。

大畑に住む友人のおばあさんが建てたそうなの茶筅塚。なので古そうですが昭和です。その友人が家を建てたとき、地盤検査で数値を10をマックスにすると、なんと10だったそうです。この辺りはなるほど地盤が固い!

納経所

裏手に回ってみる龍石寺。岩の上に建っているのがよくわかります。なかなか見られない景色で、ちょっと感動! 石碑の下には階段がつけられています。これはかつての巡礼専用の渡し船乗り場につながる道だったようです。渡し場はもうちょっと荒川の上流にあって、簗場(やなば)の渡しと呼ばれていたそうです。そこから次の20番に船で渡ります。

20番が建つ崖の下に着きます。料金は6文。季節や天候によって変動したらしいです。それを取り仕切るのは、20番の所有者である内田家でした。

 

 

秩父のジオガイドブックによれば、

民家の間の路地を東側に少し歩くと、水路を隔てて、公園に登る階段のついた斜面(段丘地形の段差の部分)に境内と同じ含礫砂岩が見えます。もとはひと続きであったこれらの岩が割れて、その割れ目にできた水路が激流となった様子を昔の人が竜に例えたのだとしたら面白いですね。ちなみにこの水路は、お堂の建つ岩盤が川原であった2~3万年前に荒川が流れていたところと考えられます。

札所19番龍石(りゅうせき)寺の角礫質砂岩(かくれきしつさがん) | ジオパーク秩父

納経所の人に、寺のあたりに水路はあるか?と尋ねたら、寺を西に荒川方向に下りて行ったところに水路がある、と言われて写真の水路にたどり着きました。この水路、とても長いです。

 

でも、ちょっと方向も違うようだし、公園も見当たりません。この水路を見つけることは課題です。それに渡し船の名残りのかつての姿を想像できないのが気にかかる。

 

龍石寺詳細

 

スタートは秩父札所17番 実正山定林寺(じっしょうさん じょうりんじ)

『あの花』の聖地、長享番付け1番・定林寺からスタート

秩父札所17番・観音堂

秩父札所17番定林寺

自分が住む秩父札所34ヵ所。どんな魅力があるんだろう?とボチボチ巡ってみることにした。やっぱりはじめは一番の四万部寺からと思っていたが、天気が悪いから、などとグズグズして、家から徒歩5分、すぐ行ける17番からのスタートにした。

 

とはいっても、この17番をスタートにする運命的な理由も調べているときから感じていた。『長享番付1番』。長享番付は秩父33ヵ所霊場が成立し、巡礼が行われていたことを記す最も古い文献で、室町時代に長享2年の日付けで1番定林寺から33番まで記されているそう。ちなみに、後で真福寺が加わって34ヵ所となった。

 

知らなかったとはいえ、『あの花』の聖地であるけど地味な近くの寺、という認識しかなかった17番が、かつての1番だったということに、ひどく感激した。でも、どうして旧市街エリアでもはずれにある、定林寺が1番? 

 

調べてみると15世紀に秩父神社(妙見宮)のそばに林家の持寺として創建され、江戸後期に現在の桜木町に移された。林家は妙見宮の触役(ふれやく)という仕事をしていた。広報のような役目かと理解しましたが...。妙見宮との関わり合いで1番になったのでは?という説もあるようです。

定林寺の見どころ『観音堂』念仏回廊

秩父札所17番定林寺

観音堂は質素な四間四面の宝形造り。注目したいのは裏側にも回廊がある念仏回廊という造り。

秩父札所17番定林寺

緑の房が見えますが、これは本尊の厨子とつながっていて、これに触れながら、「南無観世音菩薩」と3回唱えるとご利益があるそうです。板の裏側は本尊が安置されている場所になるのでしょう。

秩父札所17番定林寺

さて、観音堂正面。彩色された天井や彫刻もすっかり褪せてしまっていますが

秩父札所17番定林寺

よ~く見ると、立派な彫刻があります。

秩父札所17番定林寺

 

秩父札所17番定林寺

お堂の中を覗くと、なんだかまた感動しました。ここは住職がいない寺ですが、桜木町会がお世話しています。きれいにお掃除されて、闇の中に観音様が輝いて見えました。ここだけが別空間かのような静寂を感じます。

 

秩父札所17番定林寺

厨子に安置されているのは本尊の十一面観音。1593年作とあるそうです。寄木造りの立像で、高さ55cm。ぜひ、見てみたいものです。

秩父札所17番定林寺

音霊験記からの絵と霊場の由来。観音霊験記は百観音霊場を描いた錦絵で、秩父・坂東・西国とあります。各霊場の縁起やガイドブック的な要素もあります。

定林寺の名の由来など詳しい内容は

観世音霊験記 秩父巡礼|城西大学 水田美術館|Josai University Mizuta Museum

定林寺のみどころ2ー悲しい由来を持つ百観音梵鐘

秩父札所17番定林寺・百観音銅鐘

そして日本百観音の本尊を浮彫りにした銅鐘。江戸末期に焼失しましたが、1758年に作り直しされたそうです。県の指定文化財になっています。

秩父札所17番定林寺・百観音銅鐘

どこの観音様かも記されています。この鐘が作られた由来は悲しい話。昔は貧しさのために生まれた子供を間引きで寺に埋める、などという風習がありました。

臨月の女が巡礼中に出産したが、赤子を連れて巡礼できないということで、定林寺の裏の沼に子を捨てて、巡礼を続けた。巡礼を終えて家に帰ると、捨てたはずのこどもが土間に立っていて、そばに定林寺のお札があった。女は自分の行為を悔いて、それを償うために梵鐘の奉納を発願し、長い年月をかけてそれを果たした。(秩父札所・観音霊場への誘いより)

そういえば、私が小学生の頃までは、寺の裏手は公園ではなく、沼がありました。小さな川も流れていたような。沼にはゴミがいっぱい投棄されてたなあ、アメリカザリガニを取った記憶もあります。木が鬱蒼としていて、ちょっと怖い所でもありました。

定林寺は『あの花』の聖地としてが一番有名かも

あの花聖地

『あの花』の絵馬、納経所で売っています。私が行ったときにも、一人でレンタサイクルで来ていた男子が熱心にこの絵馬を見ていました。まだまだ聖地としても健在なんですね。

あの花は『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』。主人公たちが集まっていた場所として登場します。

あの花聖地

『あの花』マンホールの蓋。寺の階段上り口にあります。市内6カ所に『あの花』マンホールの蓋があるそうで、その資料が納経所で配布されていました。

秩父札所17番定林寺

桜木町会で運営されている納経所。

秩父札所17番定林寺

寺の参道は一般の人家。

巡礼に来る人々

私がいた1時間ぐらいのうちに4組の巡礼者が訪れました。中年の女性二人はお経が背中に書かれたTシャツを着ていて、観音様の前でお経を唱え、納経所に寄って足早やに去って行きました。

 

次はレンタサイクルに乗った20代の男性一人。たぶん、『あの花』の聖地巡りか。

 

そして、50代ぐらいの男性一人。彼は階段前で手を洗い、まずは鐘を突きました。そうそう、鐘は参拝する前に突けと鐘楼にも書いてありました。それから観音様の前で般若心経を唱えていました。

 

最後は20代のカップル。観光ついでに立ち寄ったという雰囲気でした。

 

晩夏の午後、意外に来る人いるんだなあ、という感想、そしていろんな思いで訪れているんだなと思いました。

 

定林寺詳細

  • 本 尊 十一面観世音菩薩
  • 宗 派    曹洞宗
  • 長享番付    第1番 定林寺
  • 住 所    埼玉県秩父市桜木町21-3
  • ☎    0494-22-6857
  • website     
  • 駐車場    有

 

参考資料:清水史郎著『秩父札所・観音霊場への誘い』